「ママが、ごちゃごちゃいう親じゃなくてほんとよかったわ」というような趣旨のことを子どもから言われることがこれまで何回かありました。子どもとしては、良い意味で言っているようです。
これを言われると逆に、「もっとアドバイスすべきだったか」「あのときもっとフォローすべきだったか」とかは、いったん頭をよぎります。
たしかに、大きな進路である進学のときに、「ここの学校がいいよ」「ここが素敵じゃない?」とか、私目線での考えを、私から先に言うことはなかった。小さいことだと、食事に行ったときに「これが美味しそうだからこれにしなよ」とかももちろん言わない。自分に関わることは、自分で決めて欲しいと思っていたので。
聞かれたときは、アドバイスや相談に乗り、これがしたいということについて、私ができることは動いてきたつもりではあるが、満足であったかは、もはやなんの自信もない。
そもそも正解はないし自信もなくていいんじゃないか
子どもが、「ママがよかった」と言ってくれるのは、私にとっては嬉しいことではある。とはいえ、自分がこうしたほうがもっとよかったんじゃないか?は、正直考えることはある。
だけど、いつまでも親が子どもに寄り添ってあげることもできないのは、子育てにおいては事実であると思っているので、早い段階で意識的に見守るんだ!と思い、自分で決断することができるようになってくれているのを見ると、ホッとはしている。自分がいなくなっても、なんとかやってくれるんじゃないかと思えるので。そこは自分のためでもあった。
そう考えると、子育てのいろんなやりとりが正しかったなんて自信はなくていいし、これが正解だったよかったというのもないんじゃないかと思っている。よい悪いの価値観も、個人で違うし、子どもと私とでも違うので。
と、これも自分に自信がないから、言い聞かせてもいるところもありますが。
あとは、自分よりも子どもたちの方が、賢く、思慮深くなっていることもありますがw 経験だけではものは言えませんw
もちろん、私に対して、もっと言うべきだよ、何もしてないじゃん、と言ってくれる人もいる。その度に、そうなのか、ショボンとなりつつ、私は私で考えるようにしている。
今では私が見守られている
こうして、子どもに対しては自分で決断できるようになって欲しいと考えて接しているのだけど、自分はしょっちゅう子どもに意見を求めている。
10年近く勤務した会社を転職するときには、「ママ、仕事変わるんだ。新しいところで仕事うまくいなかくなってクビになるかもしれないけど、いいと思う?」と言ったとき、子どもたちは、「ママの決断ならそうすればいい。私達は、どうなってもなんとかなるよ」と言ってくれ、最近引越をするときも、「引越するけどどこがいい?」と聞くと、「ママのお金で引っ越すんだから、ママが好きなところにしなよ」と言ってくれたりと。
でも、私自身の答えが決まっていることをわかって、そういう風に言ってくれているんだなともわかるので、私も決断に対して、前向きに進むことができてきた。
私の方こそ、ごちゃごちゃ言わない子どもたちでよかったと思っている。
お土産
仕事帰りに人へのお土産を買いにデパ地下に寄ったので、家族にもお土産購入。ダロワイヨのマカロンとDEMELのチョコ。どちらも美味しかったようで、なにより。